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2007年9月24日 (月)

ささやき1発

大楽日迎えて再公開です

とりあえず、怪我や事故は無く、それは何よりです
スジもオモロかったし、ノリで観れる明るさもあった

モンダイは殿のステージスキル (ぁ゛

是非・冬までに何とか頑張って頂きたい

でないと、僕は魔法が解けてしまいそうだ
 
 

コチラは長文感想です
 
ゴローさんが 「大人向け」 にこだわった意味について考えました

【作品のテイマ】

最初は解らなかった、各エピソードは楽しいけれど、何だか散漫な気もしたり
楽しいけれど、トータルで迫ってくるモノが無い
直球の性描写やセリフがあって、子供に見せるモノでないのは確かなのだが

ハテ・何だろう?
最愛の人を伴侶に得て、めでたし・めでたし…結局恋愛なのかな?思ったりもした

ハッピーエンドに送り出されて帰宅
後味はイイ、でも・迫ってくるモノがない

考えて・また観劇して・また考えて、繰り返してやっとこ解った気がする
最終観劇時のカズキ殿が良かったせいもある
やっとこ、手にアセして心配観劇しなくて済んだので、作品自体に集中出来た

導き出したテイマ
 
「如何にして死ぬか」
 
僕にとって 「死」 はじいちゃんとばあちゃんだけのものだ
理由は単純で、近しい人の中で一番天寿に近い位置に居るから
田舎のばあちゃんから援助物資が送られてくる
「ヲレの家はすもう部屋かい?」 圧倒的な物量 (笑
ばあちゃんが梱包、じいちゃんが角のタバコ屋までチャリで行ったかな
2人を想うと愛しさが込上げる
同時に、いつか必ずやってくる 「永遠の別れ」 がよぎり・寂しくなる
現在の僕にとって 「死」 は辛いものでしかない

言い換えると、僕にとって 「死」 は感傷の領域で、自分のことではないのだ
明日何しよう、こんな風に成りたい、どう生くべきか?、自分の人生を設計している
僕にとって 「生」 は大前提というか 「当たり前」 のこと
それこそ事故にでも遭わない限り 「死」 は、考えも及ばない様な遠いコトだ

そういやゴローさん、パンフで 「近年・肉体の限界を考える」 と仰っていた
初見時 「何をおっしゃいますやら」 思っていた、それぐらいゴローさんの動きは凄い
ゴローさん御歳43才
「へぇ…意外といってるなぁ」 若干失礼か?まま・女性じゃないからいいだろ

そう・43才……

今まで生きてきた時間より、もしかするとこれから生きられる時間の方が短いかも知れない…ちょっとリヤルなお年頃
とたんに自分の死は現実味を帯びてくるのではなかろうか?
感傷では無く、いずれ確実にやってくるものとして

「どう生きよう」 でなく 「どんな死に方をするのだろう」 考えた時

死の間際・全ての出会いに感謝出来たら ─

全ての出来事を無駄でなかったと思えたら ─

愛する人が傍らに居てくれたら ─

残されたその人が、自分と過した半生を幸せだったと言ってくれたら ─

願うのでなかろうか

それら割と直球のセリフが幾つもあったコトを思い出す
聞いてて 「いいコト言ってるなぁ~」 ぐらいにしか思ってなかったのが、ようやく僕の中で生きてきた
そうして思い返すと

ぁあ…いい芝居だったじゃないか

「死」 を思うなんて縁起が悪く聞こえは良くない
でも・それがイヤじゃないし説教がましくもない
いつか迎える 「死」 なら 「いい人生だった」 思って逝きたい

自分では大したコトない人生と思っても、終わりを迎える頃にはもっと沢山の出来事があるワケで
それ等を愛しんで逝きたい
そう思える様に生きていきたい
映画の様なドラマティックな人生で無くとも、1つしかない自分の人生なのだから

後からジワジワくる脚本や思いました

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